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    越後〜弘前〜角館 【其の七】春日山城:伍

    JUGEMテーマ:お城


    越後〜弘前〜角館 【其の六】春日山城:肆の続きになります。

    柿崎屋敷から桑取道へ突き進む時間も勇気もないので、さくさくっと戻り二の丸、三の丸へと進みます。

    先は長い…。




    御成街道を通ります。
    「時の関白近衛前嗣が通ったことから御成街道と呼ばれています」と案内板にあります。
    謙信公は、二度上洛をして、その際に近衛前嗣と仲良くなったようです。
    酒好きだったとのこと。

    道は細いんですが、牛車とか通れたんでしょうか。
    それとも、長年の積雪とかで、どんどん削れて今の幅になったのかなあ…。
    (そいえば、三国志で崖の山道に木牛とかを通す為に、細い道の上から、丸太を渡して道を広げた…みたいなのがあったけど、そんな感じだったのだろうか。)

    鐘楼〜天守〜本丸の下をぐねぐねと歩いていきます。下は、すこーんと崖状態なので注意。

    二の丸の手前に、大きな松の木があります。どうやら樹齢400年以上あるとのこと。
    春日山城の歴史をずっと見てきたんでしょうねえ…。

    二の丸手前で、ちょうど、三の丸の斜面が見えるので、ぱちり。
    三の丸の斜面は、かなり高さ角度ともにあります…。他の曲輪も角度はこんな感じ。

     二の丸。二の丸の上に、本丸を囲むまでは行かないのですが、帯曲輪があります。二の丸も、それに沿った感じで細長い形状をしています。

     古地図には、御二階、台所。と書かれているものもあるそう。

    笹井戸と呼ばれる、井戸跡(らしい)ほんのり水がたまっています。
    溜め井戸なのかな。

    直下は、三の丸になります。高低差結構あります。

    二の丸から下りると、三の丸もしくは直江屋敷にいけます。
    三の丸に行くので、下へ下ります。

     三の丸へ下りる道の左側に大きな縦堀があります。草が生えていて何だかわからない状態ですが(笑)幅的にかなり広い幅。下に行くに従って、堀の幅が広がっています。
    (丁度いい感じに下りる人がいらっしゃるので、比較に…)

    案内板によれば、縦堀の底は岩盤とのこと。登りにくそう…というか登れない。
    (この看板、2012年の5月に行ったときは見かけなかったのですが…撤去されてしまったのでしょうか)

    春日山城の見所!米蔵の土塁です。
    手前の看板の寄りかかっている木の左手は、先ほどの縦堀です。
    縦堀を頑張って登ってきても土塁があるわけで…。(兵が配備されてますね)

     全体はこんな感じ。

     米蔵の内側に入ってみました。広いな〜。そして、土塁は結構高さがあります。

    米蔵の土塁は、一番良く形が残っているのだそうです。
    米蔵の割には、防御がしっかりしているので、米ではなく武器等が保管されていたのでは?という説も。

    三の丸屋敷の跡になります。米蔵のすぐ横。(写真は米蔵の中から撮影)
    写真左手に案内←がありますが、降り口はこちら。
    手前に三の丸屋敷跡の看板があり、奥に上杉三郎景虎屋敷跡の看板があります。
    米蔵、景虎屋敷を含めてが三の丸の曲輪ということなのでしょうね。

    こういうアングルだと、杉の木が屋敷の柱のような…。
    この木もいずれ景勝屋敷の様に伐採されてしまうんですかね。

    三の丸からすぐ上の曲輪が見えます。齋藤下野守の屋敷とのこと。
    本当に ひとつひとつの曲輪の斜面が急です。

    三の丸の奥に景虎屋敷の看板があります。
    北条氏康の息子でしたが、謙信公の養子になり、御館の乱で景勝と後継争いをし鮫ヶ尾城で自刃…。
    お嫁さんは、景勝の姉とも妹もいわれている華姫。(母親は、謙信公の姉の仙洞院ですから、謙信公の姪っ子になりますね)二人の子供は、御館の乱の際に殺害される道満丸の他に二人いたとのこと。
    景勝は武田信玄の息女菊姫と御館の乱の際に結婚しています。子供は生まれませんでしたが、生まれていたら、謙信公の血流と信玄公の血を引くサラブレッドだったんですね…。
    それを考えると、景虎と華姫の子は 北条の血と謙信公の血流を引く、こちらもサラブレッド…。(道満丸は殺害されずに落ち延びた…という説もあるようです)

     景虎屋敷から下に下りる道の手前から撮影したものですが、やはり曲輪の斜面の急な事!

    下ります。明確に虎口とも何とも書いていませんが、虎口ですね。
    食い違いの様な、枡形の様な…。

    春日山城は、メインの土塁(米蔵)や虎口(直江屋敷)以外は、「土塁」「虎口」の案内が無いですねぇ…。
    「ここって虎口?土塁?」とアンテナを張って、挑めという事でしょうか…。

     下りると少し、曲輪っぽいところがあります。

    甘粕近江守の屋敷跡です。
    おそらくは風雪や整備の関係で削れてしまったのかと思いますが…
    狭い(笑)

     こんな感じ…

    この道を下っていくと、謙信公像に行き着きます。
    正面に見える木沢山生えている場所は、直江屋敷になります。

    先ほどの縦堀を下から見たところ。
    登れ。言われても登りたくないです。

     ぐるっと曲がりながら道を進むと尾根を利用した堅堀の様な…。

     坂を下りながら進んでいくので、三の丸や米蔵、本丸を見上げる形になります。
    しばらく行けば、謙信公像へ到着!

    謙信公像の向かいにある茶屋は演馬場跡。
    下りてきた道の部分は、昔は堀になっていて、この演馬場と謙信公像のある曲輪とは木橋がかけられていたようです。

    ということで、自転車に乗り、あとは一気に下るだけ!!


    途中、大手道を通ります。
    向こうに見える斜面の手前が大手道。

    大手道の入り口。
    謙信公は、 出陣の際この大手道を通ったとか。

    埋蔵センターの謙信公像!
    よく見る川中島の戦いの時の謙信公をモチーフにしているのでしょうか…。

    気が付けば、あたりも薄暗く…自転車で直江津に戻らなくては行けないので、全力!
    途中の道から見た春日山城をぱちり。
    こう見ても、大きいですね…。

    ということで、やっとこ初日終了!

    夜は、直江津の某スーパーでホタルイカ(時期ですので)と食料を買い込みホテルで酒宴にございました(笑)



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